——セルフコア合宿アフターセッション振り返り
「俺は当てのない旅人です。たぶん迷子です」
合宿でそう命名された。
自分でも笑ったけど、笑えない部分もあった。 当てがない、というのは、別にネガティブな話じゃないと思いたい。でも「迷子」の部分には、ちょっとだけ図星感があった。
アフターセッションのテーマは「社会との接続」。 合宿で掘り起こしたものを、現実の生活にどう戻すか。そのための時間だった。
甘える・頼る・任せる——この3つ、ぜんぜん違う
最初にここを整理した。
- 甘える:自分ができることを相手にやってもらう
- 頼る:自分ができないことを相手にやってもらう
- 任せる:自分ができるし、自分でやたほうが早いことを相手に任せる。責任はこっちで引き受ける
ざっくりそんなイメージ。
今まで自分は、この3つを全部「弱さ」として一括りにしていた気がする。 甘えるのも、頼るのも、任せるのも、どこか「やっちゃいけないこと」として処理していた。
本音は「頼りたい・楽したい」だった
ぶっちゃけると、そうだった。
「もっと人に頼っていいんじゃないか」「一人で全部やるのしんどい」——そういう感覚は、ずっとあった。でも認めてなかった。
なんで?
「楽したらダメ」という信念があったから。
楽すること=サボること。頼ること=力がない=自由じゃない。そういう等式が、どこかで刷り込まれていた。だから「頼りたい」という本音が出てきても、すぐに「でもそれはダメだ」とフタをしていた。
頼ることを禁止していたのは、他でもない自分だった。
エネルギーの循環——お返しは本人じゃなくていい
健全に人に頼ることが大事だと気づいた。
そして、お返しをする。
お返しは相手が喜ぶことを、相手が喜ぶタイミングでお返しをすることが大事。
これができるとエネルギーが循環する。
助けてもらったエネルギーを、また別の誰かに渡す。その循環でいい。受け取った本人に直接返さなくても、エネルギーは回っていく。
「恩送り」みたいな考え方、と言えばわかりやすいかな。
これを聞いたとき、ちょっと楽になった。 頼ることへのハードルが、少し下がった気がした。
共自立へ
「共自立」という言葉が出てきた。
全部自分でやる。誰にも頼らない。それが自立だと思っていた。でも実は、それって孤立に近い。
「共自立」は違う。自分もちゃんと立ちながら、相手の力も借りる。借りるけど、依存じゃない。お互いが主体を持ったまま、一緒にいる感じ。
そしてもう一つ、面白い言い換えをしてもらった。
「人の目を気にする」と「人の目が気になる」の違い。
「人の目を気にする」は、フォーカスが相手にある。相手にとってプラス。
「人の目が気になる」は、フォーカスが自分にある。自分を守っている。
同じように見えて、主語がぜんぜん違う。
自分はずっと「人の目が」気になっていた。
感情は飲み込まない——体は嘘をつけない
感情を飲み込む癖がある、という話もした。
「別にそんなに傷ついてない」「これくらい大丈夫」——そう処理して、先に進む。でも体は正直で、どこかに残る。肩が凝るとか、なんとなく疲れてるとか、ぼんやりした不快感とか。
感情は出口を求めている。飲み込み続けると、別のところから出てくる。
「体は嘘をつけない」という言葉、刺さった。
感情を感じること、ちゃんと出すこと。これも練習だな、と思った。
迷子でいい。でも一人じゃない。
合宿での命名「当てのない旅人・迷子」。
アフターセッションを終えて、少しだけこの言葉の受け取り方が変わった。
迷子でいい。目的地が決まってなくてもいい。でも、一人で迷子になる必要はない。
頼っていい。甘えていい。感情は飲み込まなくていい。
そういう許可を、少しずつ自分に出せるようになっている気がする——たぶん。まだ練習中だけど。
セルフコアの仲間やコーチ陣と、こういう話ができる場があることに、素直にありがたいなと思う。
迷子だけど、孤独じゃない。それだけで、かなり違う。
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